妊娠後期に入り、徐々に出産が現実味を帯びてきた。
もちろん望んだ妊娠なので、妊娠したことに全く後悔はないんだけどそれでも出産•育児への恐怖は感じる。

まず普通に出産が怖い。
出産レポとか見てたらほんとに壮絶で自分が耐えられる気がしない。

小さい頃、家にあったまついなつきさんの笑う出産という本を読んで初めて会陰切開の存在を知った。たしか小学生くらいだったから少なくとも18年以上は会陰切開に怯えていることになる。長すぎやろ。
それがついに自分の身に迫っている。

私は里帰りして普通分娩を予定している。
でも本当は絶対に無痛分娩がしたかった。
でも地元が田舎なので無痛分娩をやっているのは実家から高速を使って一時間の距離の病院だけで…。
万が一のときに送り迎えしくれる母から絶対ダメ!と言われたので無痛分娩の夢ははかなく消えた。

抵抗して母をこっちに呼んで家の近くの無痛分娩対応病院で産む提案もしたけど、それは夫が母と共同生活したくないと言ったため却下になった。
夫のことは大好きだけど、彼の反対によりこっちで無痛分娩ができなくなったことは一生恨むぞ。

そんな無痛分娩がいいなら里帰りしなきゃいいじゃんて話だけど、予定日のあたりはちょうど夫の繁忙期なので出張で不在になる。
産後退院して即ワンオペ対応できる気がしなかったので里帰りを選んだ。だって産後って全治1ヶ月の怪我っていうじゃん。それと引き換えに無痛分娩できなくなったのでどっちが自分にとって良かったのかは答えはでません。


あとは子供を産んだ後の生活もこわい。
正直、子育てについては今のところネガティブなイメージしかない。だってよく見る育児レポは全部大変そうだし、先輩ママたちは口を揃えて『産んだら○○できなくなるから今のうちに!』とか『寝られなくなるよ!ほんと大変!』って言ってくる。
そういう刷り込みをうけているので子育て=滅私奉公の大変なものというイメージしかない。

もちろん子供は可愛いと思うし、子供の存在は子育ての大変さを吹き飛ばしてくれるものかもしれない。
でもそれは子育てが大変だという事実とは別物で、子供が可愛いから子育ての疲労が霧散するということはないと思う。フィジカルとメンタルは別物だもの。


子供が生まれて自分を表すアイコンが『ママ』になることも怖い。
私は子供を産んでも私だし、私の人生の主役は私でありたいと思っている。
子供より私のほうが大事って意味じゃないよ。もちろん子供はめちゃくちゃに大事にする。
でも私自身のことも大切にしたい。
もし自分のアイデンティティがママだけになってしまったら私という存在がなくなってしまいそうでこわい。

お母さんだから○○しなきゃ
とか
お母さんなのに○○して!
とかの周りの雑音はなるべく気にしないで生きていきたいなと思う。こんなこと言ったら叩かれるかもだけどね。
他人は何とでも言えるよね。だって私の子をその他人が育ててる訳じゃないもん。
最近話題になったポテサラじじいみたいな人にも遭遇していくんだろうな。
でも私は子育てにはどんなツールを使ってもいいと思ってる。液体ミルクを使おうが、市販のベビーフードを使おうが、テレビに子守をしてもらおうがいいと思ってる。
それをすることで母に余裕ができて子供に優しく接することができるようになるならばどんどん活用していくべきだと思ってる。

私は産むまで子が無事に生まれるか心配し続けるだろうし、分娩中と泣き叫ぶだろうし、子育てで泣くだろうし、そして産んでもきっと私であろうともがくんだと思う。
でもそれでいいと思ってる。
そうやってもがきながら変化に対応していって、徐々に強くなっていくんだと思うから。

お腹の子へ
こんな母だけど、私はあなたのことが大好きよ。あなたに会いたくて仕方ないよ。
大変なのは覚悟の上であなたに会いたいのよ。
会える日を楽しみにしてるから、無事に生きて会おうね。